もう一つのラストダンス

サッカー日本代表の中田英寿、引退へ

 サッカー日本代表の中田英寿選手(29、ボルトン)が現役選手生活にピリオドを打つことが明らかになった。今後については未定としているが、サッカー以外の分野に活動の場を求めていくと見られる。

 中田選手は引退の意思をワールドカップ(W杯)ドイツ大会の前から固めており、「たとえ後で間違っていたと分かっても翻意することはない」と言う。3日、自身のホームページで引退を表明。

 中田選手は1998年、2002年、06年の3回のワールドカップ(W杯)に出場。日本がこれまで戦ったW杯全10試合に出場した唯一の選手でもある。 (21:00)


ある程度予想していたこととは言え、やはり発表されると寂しいですね。

”世界のサッカー”というものをこれほどまでに
身近に感じられる状態にしてくれたのは、彼だと思っています。

時折見せる不遜な態度に賛否両論はあれど、
彼によってヨーロッパサッカーが身近になったのは、間違いありません。

子供のころ、僕はサッカー少年でした。
キャプテン翼が始まる前から、サッカーボールを蹴って下校していました。
なにも時別なわけではなく、たまたまそういう土地で育ったせいなんですが・・・。

当時、日本にはプロリーグなんて存在せず、
サッカー中継なんてありませんでした。
ましてやヨーロッパのサッカーを中継するなんてことは、「夢のまた夢」

唯一、テレビ東京でやっていた
 「三菱ダイアモンドサッカー」
と言う番組が、週1で30分放送しているだけでした。
小学生の僕は、食い入るように見ていました。

当時のワールドカップをテレビで観るなんてことは
本当に「夢のまた夢」でした。

その頃に比べれば、今は生中継をしてくれる状況で、
ワールドカップ以外にも、スポーツニュースで毎週ヨーロッパのサッカー情報が流れています。


本当に夢のような環境になりました。


その環境を作るきっかけになったのが
 「中田英寿
という選手でした。

彼がいたからこそ、今のサッカーに対する社会的な認知度があるのは間違いありません。
(もちろん、先陣となったカズの功績は言うまでもありません)

ビジュアルにこだわり、本当の意味での”プロ”選手としての地位を獲得し

次の世代へ可能性という夢を広げたのは彼でした。


僕が彼を最初に見たのは、98年ワールドカップ予選の国立競技場でした。
当時の彼はまだ若く、今より、もっとほっそりとした若手選手でした。
カズら先輩選手を叱咤激励し、呼び捨てにしながら走り回っていた、
誰よりも勢いのある姿でした。

そして、サッカー選手としての彼を最後に見たのは、
早朝、テレビの画面で、試合終了とともにグランドの中央で倒れていた姿でした。

そんな姿を見たのは初めてでした。正直びっくりしました。

いつもなら、そっけないくらい誰よりも先にグランドを後にする彼でした。


だから・・・今日の日が来ることは、
僕はそのときにわかっていたのかもしれません。


P.S. 無理してでもいけばよかったなぁ〜、ドイツ。